Documentary 1981
COLUMN
制作へ寄せて − 想いがある。そこに、生き方がある。

今回サイト制作を担当させていただいた者です。私は1981年ではなく1984年の生まれですが、監督である家子さんや主人公5人のうち3人と縁があり、この度サイト制作を請け負いました。2014年末にダイジェスト版を観て、心が動かされたところから逆オファーのような形で始まりました。

 

この文を書いている時点でまだ、『Documentary 1981』の全容は分かっていません。

今回は2014年の生き方を追っていますが、今も当然ストーリーは続いている。完成されないストーリーが、次にどう紡がれていくのか。それは家子さんや主人公たちしか知らないのでしょう。

 

ストーリーをすべて知らずに編集後記的な文を書くのもおこがましいとは思うのですが、それでも一つ言えることがあるとすれば。

1年間の姿を追う中でも、そこに人としての生き方が見えるということです。

 

主人公達は独立開業したり、個人事業主になったりして、個人として社会に出て日々働き、闘っている。

そこに至るまでの道のりも少しばかり知っていますが、こうやって生きていこうとするのは簡単なことではありません。

おそらく懸ける想いも、付き纏う不安や焦燥の念も大きさが違うのでしょう。

 

安住の地などない。

選ばされた道ではなく、自分が納得しながら進める道へ。

自分が前だと思う方向へひたすらに。

 

主人公たちの生き方は、組織に縛られないことで緩やかでもありしなやか。しかし同時に、苛烈で険しい。

 

生き方が多様化していく時代のど真ん中を、自分たちの手でその生き様を描きながら、このストーリーのヒーローやヒロインは歩んでいる。

会社員として生活するのとどちらがいいかということではなく、これが主人公たちの選択なのです。

だからこそ、この時代を精一杯生き抜こうとする姿には、言葉では語れない感情が生まれ、人としての生き方が垣間見えるのだと思います。

 

最後に。

この『Documentary 1981』の主人公は5人ではなく、6人だと思っています。

ストーリーのヒーローやヒロインの生き様を追う。そう決めて実際にその姿を撮影してきた家子さんもまた、想いと生き方を映したこのストーリーのヒロインなのです。

家子さんの発想からすべてが始まり、その存在なくしてこのストーリーが紡がれることはありませんでした。

 

想いがある。そこに、生き方がある。

このストーリーが、1981年生まれの方々をはじめとして、多くの人の心に届けばいいなと願っています。